身近な知り合いに現役の女子高生はいません。なので、女子高生の生の言葉に触れることってないんですよねぇ。街でみかけるかメディアからの情報で目にした彼女たちをイメージするしか術がない。
無論私も高校生だった時代はあるわけで。その頃を思い起こせば精神的には重なる部分もあります。でも、もう十何年も前の話ですし…。
そんな私が、女子高生と接する機会がありました。それは自動車教習所。
教習所での時間は、ほとんどは自分と教官のマンツーマンです。が、教官と生徒複数という形式の教習がたまにあります。そこで、なかなかけばい数人の女子高生と一緒になりました。
帰る段になって私の持った感想は「いい子らじゃん」。
まったくもって素直でいらっしゃいました。化粧が多少濃かったり、着ているものが多少露出狂じみてはおりましたが(笑)、話してみればすごくいい子らでした。教官の質問にも、照れながらだけどまともに答えているし。毎度けだるい感じではありましたが、若さや幼さをかくしたい照れなのかなと思えた程度です。私をお姉さんと呼んでくれただけでも合格点(笑)。
あれやこれや思っていたことは偏見だったんだなぁと、ちょっと反省した次第。
…ただ、敬語をまともに使えないのが、致命的でした。
──そもそも、人間はどうやってしゃべれるようになるのか。
自分の周りで鳴っている音の中から、人間が話している言語を聞き分けて、自然に学習していくだけのことですよね。血や家柄じゃないし、国籍でもない。赤ちゃんの頃から、自分を育ててくれている人や周りにいる人たちの言葉を聞いて自分の言葉にしていくだけです。
養育者の使う言葉が英語なら、日本に住んでいても、社会に出るまでは基本的に英語を使う。同じように関西弁なら、北海道に住んでいても関西弁になってしまう。そりゃそうだ、それしか聞いたことないわけですから。
同じように、敬語の規則なんて、周りの人間が話しているのを聞いて自然と身につけていくものだと思うんです、私は。
敬語が使えない子がなぜ多いのか。…周囲で敬語をきちんと話す人がいないからでは? 敬語を使って話す必要を感じる対象人物がいないからでは? 養育者が敬語を使うようにしつけていないからではなく、身をもって場面を学習させないことに原因があるのだと思いますが、どうでしょうか。
「育てている」という意識のあるアクションだけが「教育」なのではなく、ともに生きていること自体が「教育」だと、私は思います。